365日恋するよ君に…

好きなことを好きなだけ。

自分の事について話してみる。

 

以下パニック障害と診断された私の話をします。

なぜ今これをわざわざブログに書くのかは自分でもわかりません。

だけど、私自身の事、そしてパニック障害のこと、少しでも理解してもらえたらなと思ってるんだと思います。

 

言葉も文章もぐちゃぐちゃで、とても読みにくいです。とても長いし。

ただ、私の事を、思ったままに吐き出したものになります。

読まれるのは申し訳ないですが、自己責任でお願いします…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は中2の春、突然学校に行けなくなりました。

中1の頃は普通に通って、友達もいたし、部活もしてた。成績はまぁ普通。なりゆきで委員会に所属してしまったけどそれも何とか頑張った。

でも1年で限界だった。何故なのかは今でもハッキリ分からない。いじめられたわけでもないし。

次第に友達だった子とも関わることも無くなり、保健室登校とかから初めてなんとか3年生の秋の体育祭には参加した。そこから頑張って戻ろうって思ったけど、当たり前にそこから友達を新しく作れるはずもなく、私であろう誰にもわからない友達同士だけのあだ名で『〇〇って今更なんで来るようになったんだろうね?今日朝からいるじゃん(笑)』なんて私に聞こえるように話された瞬間心が折れた。

でも、当たり前だと思った。周りはもちろん受験モード。そんな不登校生に構ってる暇なんて無いし。優しくしてくれる子ももちろんいたけど、それから一切教室に入ることは無かった気がする。卒業式も終わって校長室で卒業証書を受け取った。

この間色んな精神科医に行った。でも自分でさえどうしてか分からないものを先生だってどうしようもできないから結局あてにならないじゃん。って思ったのを記憶している。

 

高校は偏差値が低い私立高校に専願入試で受験した。だいたい名前書けば通るような学校。それでも出席日数が足りなかったから中学に高校の先生が来て『合格したら学校にちゃんと来れますか?』って聞きに来た。泣きながら頭を下げて合格させてもらった。

 

高校に入学した瞬間異変は訪れた。ずっとトイレに行きたくて仕方なくなった。

その高校では授業中に数回トイレで席を立ったら欠席扱いになるという決まりがあった。それを説明された瞬間”絶対席を立てない”という恐怖心が出てきた。

それまで自分自身トイレが近いっては少しだけ思っていたけど、今まで感じたことのない不安感で押しつぶされそうになった。学校から足は遠のき、学校に行ってもお腹が痛いと嘘をついて保健室で休むことが増えた。教室でテストが受けられないと担任の先生に恥ずかしいくらい泣きながら別室での対応をお願いしたこともあった。

精神科に行ったら『神経性頻尿』と診断された。

「特別に欠席扱いにはしないようにします」って言われたけど、その特別感が嫌だったし、その程度で取り除けるような不安ではなかった気がする。教室という密閉された空間。授業中に先生に申告して教室を出る。みんなの視線が気になる。すべてが嫌だった。そんな生活が続けられる訳もなく、2か月程で単位制の高校に転校した。

転校した学校では教室が苦手な生徒の為の自習室があった。もちろん自習室だから課題をやる程度。ほとんど勉強した記憶はないけど、毎日学校に通うことが出来た。それだけで親の機嫌はいいし、新しい友達も増えて少しだけ高校生らしい生活が出来てた気がする。

18歳になって車の免許を取りに自動車学校に行った。高校を卒業したら取る暇なんて無くなるから今のうちにと周りに説得されて渋々。

もちろん毎日が閉鎖空間。辛くてきつい。しんどい。幸い私の誕生日は4月。5月に入って人混みを避けて、学校早退したりしてお昼間の学科を受けてたりした。

1番辛かったのは実技。50分間車の中に乗りっぱなし。今でもよく私通ったなって思う。

この時に精神科医に行った。診断されたのはやっぱり『神経性頻尿』緊張するとお腹が痛くなるのと同じような感じ。そこで精神安定剤を処方された。多分運転には向いてない薬。頓服のように飲んで、運転の時間耐える…というのを繰り返した。定期的に病院に行くたびに『眠気はない?』って聞かれた。本当はあった、あったけどこれが無くなってしまったら、私は運転出来ないと思って嘘をついてもらい続けた。眠気はあったけど。我慢できる程度だったし。

でも免許を取って、やっぱりその薬を飲んでの運転はダメだと思って自然に運転しなくなった。

『なんで運転しないのー?せっかく免許取ったのにー!』なんて言われたけど頻尿なんて恥ずかしすぎて言えなかったからずっと「怖いから(笑)」って言い続けた。

色んな精神科に行った。どこでも診断される病名も貰う薬も同じ。

だいたい言われる言葉は『少しずつ自信を付けていきましょう!まず尿意を感じて5分我慢してみる。そしてトイレに行く。そして次は10分…と伸ばすと少しずつ自信がついて大丈夫になります』もう何件目かになると「もういいです。」って言いたくなった。同じ本を朗読されてるようにみんな同じことしか言わなかった。そんな事で治るならとっくに治ってる。無理だから来てるのに。何回説明しても誰もそうとしか答えてくれなかった。

もちろん泌尿器科にも行った。膀胱炎ではないからどうしようもない。経験の有無を聞かれたのに内診されかけたり。泣きながら断ったけど。

ある日近くの産婦人科で見て貰う事にした。そこでもちゃんと伝えたのに内診まがいの事をされた。怖かった。その話をしてお友達の方に婦人科を紹介してもらって診察してもらった。とても優しい先生で、頻尿の治療もしてる病院だったから頻尿の薬を処方してもらった。多分”これはトイレが遠くなる薬だから大丈夫”と思えたからか少しだけ症状は軽くなった。それから1ヶ月に2~3回近くのスーパーに行く程度でしか乗ってなかった車に少しずつ距離を伸ばして行けるようになった。

その効果なのか途中トイレに寄りながらではあるけど家から1時間はあるような場所に1人で運転して行けるようにもなった。すごい成長。その先生にはとても感謝している。

 

少し話は遡るけど、神経性頻尿の天敵と言えば逃げられない閉所や自由にトイレに行けない空間。バスや電車、車等が該当する。コンビニやお店が無いような道を歩くのも嫌いだった。

学生時代、福岡市内まで行くのに在来線の特急を使っていた。中学生の頃まではあっても「トイレ行きたいな~」って思う程度だったけど、高校になって途中下車して、トイレに行って、急行に乗り換えて行くっていうのが定番になった。

それでもある日、正確には覚えてないけど確かお正月にコンサートに行く日、天神で友達と待ち合わせしてたからいつものように在来線に乗ろうとしたら人・人・人。電車が到着して、どんどん隙間が無くなっていく車両を見て恐怖を覚えた。

「これに乗ってしまったら15分間ドアが開かない。」

そう思った瞬間無理だ。と思って駅まで送ってもらった親にすぐに電話して、新幹線駅に送ってもらった。それから在来線の特急には乗らなくなった。

1年前くらいに1回乗ったけど扉が閉まった瞬間息が苦しくなった。ドアの前で息が荒く、自分を落ち着かせるのに精一杯。周りの人にチラチラ見られるのも恥ずかしい。必死にスマホゲームで気を紛らそうと思っても手汗が酷く手が震えて出来ない。

15分と言えば大体曲で言うと3~4曲程度。そうやって落ち着かせようにもいつもの10倍遅く聴こえる。テンポの話ではなく「まだ2番…」「やっと1曲…」そんな感じ。

その1回を除いて、福岡市内に行く時は新幹線を使うようになった。料金は在来線の倍以上。高いなとは思ったけどあの恐怖を味わうなら全然安かった。そんなに行く機会も無かったし。

でも、親にも誰にも言えなかった。勿体無いなんて言われたくなかったしなんとなく怖かった…。

 

そんな生活を続けていた。電車は新幹線を使う事で対処し、車は体調がいい日に乗る。薬を飲めば大丈夫だと思ってたからか案外大丈夫になった。美容室もタイミングを見てカラーの待ち時間に行こう。とか色々自分なりに工夫して日常生活はなんとか落ち着いて過ごせるようになった。

 

実はコンサートも苦手部類の一つ。楽しいけど苦手。MC中にトイレに立つ事は毎公演だし、理解してくれる友達と一緒に行ったりすることでなんとか楽しんだ。

でも自担は何故かトイレいじりが多い(笑)私は運よくその場面に遭遇したことは無いけどレポで何度か読んだ。正直辛かった。だから、自担のコンサートで視界に入る可能性がある席の時はMC以外の時に行く。というのが自分の中でルールになってる。

一応言っておくけど自担は何も悪くない。

 

でも、今年の春だった。いつも通り楽しみなツアー幕開け。の、ハズだった。

今年の春は何が違うかって、チケットがデジチケに変わった。私としては大問題だった。通路横かどうかが分からない。みんなが『近いかな?』とドキドキワクワクしている中、私は不安と緊張のドキドキしかなかった。本当はネタバレも何も読まずに行きたいけど、「トイレに行きたくなった時、通路が閉鎖されて出られなくなったらどうしよう」という不安だけしか頭になく、必死にレポを漁った。セトリやトロッコがどこで登場するかを把握してアリーナだったらこの曲で一旦トイレを済ませよう。スタンドだったらこの時…。と頭に入れてコンサートに入った。私的初日の大阪公演はなんとかそれで終わった。

 

しかし、次の4月7日の福岡公演の日だった。この前と同じ不安感を感じながら入場した。席は下手側のステージ横ブロックのスタンド後ろの方。

マリンメッセに入ってトイレに立ったことがある人なら分かってくれると思うけど、マリンメッセは演出の都合上、公演中はバクステ側の1番奥しか扉が開かない。

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これがマリンメッセの座席表。下手側で説明すると、本来はP・Q間、Q・R間、R・H間に扉があるのが公演中はR・H間の扉しか開かない。上手も同じで、マリンメッセのスタンドの構造的にA~Gの座席はアリーナ席と同じ場所から始まってるので必然的にアリーナ席も同じ場所しか開かない。

それがその時の私には耐えられなかった。

大阪公演の日に頭に叩き込んだところより早くトイレに行きたくなった。少し我慢しようとも思ったけどまた行けばいいやと思って席を立った。

マリンメッセは縦に長い構造をしている。私の座席から後方の扉まで結構な距離があり、少し時間がかかった。

今年のツアーではスタトロが本編に組み込まれた。スタトロが通る時、こっちを向いてくれたらうちわの文字は見えるだろうな~…って席。そしてその日は私の誕生日翌日だった。この日の為に『昨日誕生日でした』ってうちわを作って楽しみにしてた。自担に出来れば反応してほしかった。今日だけでいいから。そう思ってた。

でも、MCが終わりスタトロの曲が近づいてくるにつれ、息が苦しくなってきた。おそらく「このうちわを使うのは今日しかない」そんな緊張感も相まってか、いつも以上に苦しかった。思ってるタイミングより少し早いけど席を立とうと思ってトイレに行った。そこから座席に戻ろうと思って扉を超えた瞬間緊張感が最高潮に達した。

「今戻ったらもう通路が閉められる。」「ここで戻って次立とうと思っても自分の座席からこの位置まで結構時間がかかる。」「無理だと思ってすぐに出られる距離じゃない」一瞬で色んなことが頭を過った。足がすくみ、自分の席までの通路を見つめたまま、前に進めなくなった。もちろん止まらない時間。止まらない曲。頭の中は恐怖で埋め尽くされたまま、またロビーに戻った。スタッフの人に、座席が閉鎖されるまでに戻るなら、いつまで可能かという事を聞いて、ギリギリまでここで待とうって思った。

コンサートの音だけが聞こえる状態。スタトロの準備をするバイトの人を見ながら「戻らなきゃ…」って思った。でも、もう戻れなかった。

さっき聞いたスタッフの方が「もう入るならこの曲になります」って言われたけど、席を立つことが出来なかった。涙が溢れた。1回だけのチャンス。席も悪くない。無駄にしてしまった。そして座席には友達を置いてきている。最低な事をした。

曲が進み、スタトロの曲が始まった。楽しくて大好きな曲。楽しそうに歌うメンバー。その声だけが聞こえてくる。悔しかったし悲しかった。

スタトロの時間が終わって、席に戻った。友達が心配してくれた。そしてその友達は「うちわ見てくれたよ!指さしてくれた!」って言った。一瞬何のことか理解できなかったけど、帰ってこない私を心配して、咄嗟に私のカバンからうちわを取り出してアピールしてくれたらしい。すごくうれしかったし、感謝しかなかった。

それでも友達は「私がいい思いしちゃってごめんね…」って何回も謝ってくれた。何も悪くないのに…。むしろ感謝の気持ちでいっぱいなのに。

自担がそのうちわを見たってだけで私の気持ちは報われた。本当にありがとう。

 

そのあとご飯を食べて帰ってめちゃくちゃ落ち込んだ。

次の日も福岡公演。不安でしかなかった。夜中に友達に明日行けないかもしれないというクソ最低なLINEを送って、お昼一緒に食べようねって前から約束してたのにも関わらず直前に断って、みんなを心配させた。勇気を振り絞って会場に向かった。

いつも通り会場周辺に着く。私はバスも苦手なので、地下鉄の呉服町から徒歩で向かう。

会場前のコンビニに着いた時だった。そこからマリンメッセまでの距離が大体徒歩2分程度。もう見えている。でも、突然怖くなった。

前日、外で開場する前に友達と話してた時に少しだけトイレに行きたくなり、並ぶことを見越してトイレに行った。マリンメッセの外のトイレはかなり少なく行列が出来ていた。トイレに入れたのは約1時間弱…。その記憶があったから。

その時開場まで確か15分も無いくらいだったと思う。でも、ここでトイレを済ませて、会場に向かってしまってトイレに行きたくなっても行けない。その恐怖が押し寄せてきた。そんな気持ちのまま、頑張って歩くけど、サンパレスでトイレを済ませようと思った。ほんの5分前に済ませたのに、不安で仕方ない。

またサンパレスのトイレに並び済ませる。トイレから出た瞬間また同じ恐怖に襲われる。「やばい。会場までたどり着けない…」友達が既に会場に着いたことを確認して、頑張ってマリンメッセ前に到着した。すぐに会場入りして、バクステ側のスタンドの後方であることを必死に祈って入場。運よく扉に1番近いブロックを引いた。友達にはすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、私は安堵感でいっぱいになった。席は通路から3・4席目。前日の事があって、とても不安だったので席を立つ事があるから…と事情を説明したところ、快く隣の人が通路横を譲ってくれた。

公演が始まり、前日よりは落ち着いてコンサートを楽しめた。

でも、やっぱりスタトロが近づくにつれ緊張感が高まり、苦しくて仕方なく。というより、前日の恐怖を味わう前に自分で外に出た。また同じように外で楽しい曲を聴き、時間を過ごした。コンサートが終わり、緊張感が無くなると、嘘みたいに尿意という恐怖が無くなる。

サンパレスからの道のりがダメだったくせに会場の外で友達と話し、タクシーで博多まで戻れた。

たまたまこの2日間は体調が悪かったんだろうと思っていた。

 

次の休みの日だったかな。車を運転した。目的地はだいたい1時間くらいの距離。

家を出て5分くらいの距離でなんとなくトイレに行きたくなった。

緊張だろうと思ってすこし我慢してコンビニに寄った。そしてまた不安が大きくなってくる。でも、まぁコンビニに寄れば大丈夫。今日しかいく日が無い。と自分を奮い立たせ目的地に進む。でも、右折しようと道路の内側に寄った瞬間だった。赤信号で止まる自分の車。交通量の多い道路。左車線は当然埋まる。そのとき恐怖が襲ってきた。『逃げられない』手汗が止まらず、手足がしびれて、頭がボーっとなる。怖い。怖すぎる。赤信号が10分くらいに感じた。すぐに近くのガソリンスタンドに寄ってトイレに駆け込む。そこまで大体車で20分~30分くらいの距離。それでも何故か目的地に向かおうとした。コンビニが見えたら立ち寄り、最終的に半分くらいまでの距離に来た時に危険を感じて帰ろうって思った。

でも帰りはもっと酷かった。行きはなんとか騙し騙しここまで来たけど、帰りはその恐怖にずっと支配されたまま。大きなバイパスを通るのも怖い。道が途轍もなく長く見えて、また手足のしびれと恐怖感に支配される。急いで脇道に逃げてスーパーに駆け込む…。その繰り返しでなんとか帰宅…。その日はもう1歩も家から出ずに終えた。

 

次の日の仕事。家から職場まで車で5分も無い場所。私はもともと父が受け継いだ会社があったのでそこで働いている。母も嫁いだと同時にそこで働いている。なので、出勤するのはいつも母の運転。でも、その日はその5分弱もとても不安だった。

おかしいと思い通っていた婦人科でもなく、学生時代に行っていた精神科でも無く、ネットで調べた精神科の病院に行ってみようと思った。でも、大体そこまでが車で15分。自分で運転するのが怖くなった為、母に頼んで連れて行ってもらった。

そこで診断された病名がパニック障害だった。初めて聞いた名前だった。

学生時代に神経性頻尿と診断された事も伝えた所、それが引き金になったんだろうと。

どうせまた5分我慢して…とか言われるんだろうな。って思ってたら先生に『不安は自分1人で治そうと思わなくて大丈夫なんですよ。1回感じた不安ってなかなか取り除けないんですよね。考えれば考えるほど大きくなるし。だからね、薬に頼って大丈夫だからね。少しずつ少しずつゆっくり不安を小さくしていきましょうね。』って言われて涙が溢れた。

初めて言われた。ビックリした。嬉しかった。治るんだってやっとここで初めて思った…。

毎晩飲む依存性の低い薬と、不安時に飲む頓服を処方された。今まで出されたことがない薬だった。毎晩欠かさず飲んでるとすこしずつ不安が解消された気がした。

この頃は、博多から天神の約5分弱の地下鉄ですら苦痛に感じてしばらく地下鉄にも乗れなかった気がする。長くて2分で扉は開くのに。それすら恐かった記憶がある。

 

そんな私が控えていたのがゴールデンウィーク横浜アリーナ公演。

毎年飛行機で行っていた。神経性頻尿と戦いながら、飛行機の離着陸時に多少不安を抱えながらもなんとか乗っていた飛行機だった。

でも福岡公演を終え、パニック障害と診断された頃、飛行機に乗るのが不安ではなく恐怖に変わった。飛行機が動き出し、飛んでシートベルトサインが消えるまでの間、全く動けない。これが恐怖。

しかも飛行機が動き出して、離陸するまでの間にトイレに立つと、また元の場所に戻る決まりがあると聞いたこともあり、自分のせいで人に迷惑がかかってしまうのは良くないと思い、急いで飛行機をキャンセルして、福岡から新横浜まで新幹線で行った。

地元に新幹線駅があり、横浜アリーナまでが線路で繋がってることをこれほど感謝した日は無いと思う。

薬を服用しながらだいたい1ヶ月弱で横浜へ。ずっとスタンド席だったけど、初日ぶりにスタトロを見れた。トイレに立つ事はあっても横浜は扉が近いというのが何よりうれしかった(笑)

1公演だけアリーナ席に当たり、なんとか落ち着いていれた。アリトロの時はやっぱり無理でロビーでその時だけ時間を過ごしてしまったけど。

 

そんなこんなでツアーは終わり、夏のコンサートも無く、寂しい気持ちと、ゆっくりゆっくり不安を解消する為に毎日過ごせている。

新幹線で行っていた電車も、JR線ならトイレが付いている事を知りJR線なら安心して乗れるようになった。それでも少し不安はあるから必ずトイレに近い車両と、比較的混んでると感じた時は席もトイレの近くにしたり。なんとか自分なりに工夫出来ている。

 

夏には別のアイドルのコンサートに行けた。トイレには立ったけど楽しめた。

 

親にも理解してもらい、どうしても遠出しなきゃ行けない時は、混まないような道や、コンビニがある大きい道路を使うようにしてもらったりしている。

 

今でも苦手なことは多いし完全に不安が消えてるわけじゃない。

まだ当たってもないのに、当たる方が稀なのにカウントダウンのコンサートでアリーナ席だったらどうしよう…スタンドの人変わってくれるのかな…。とか。書いてる自分でも思うけど非常に無駄な心配をしている。こういう心配で眠れなくなる事もある。

 

でもその不安と付き合っていかなきゃいけない。

 

周りから見えない病気だからこそ理解してもらうのは難しいし、精神科に通ってるって響きだけで危ない子のような扱いをされる気もする。そんな事無いのにね。

 

ジャニーズ内でも、岩橋くんに続き聡くんもパニック障害を公表した。

TLを見てる限り、やっぱり馴染みのない病気だから戸惑ってる人も多いし、未だに鬱病のような扱いをしてる人も多い気がする…。

 

確かにパニック障害はめちゃくちゃ厄介な病気で、治るのもすっごい難しい病気だと思うけど、ある立場に置かれたときに発症する病気だから、『あの時も戦ってたのかな…』って過剰に心配する必要は少なくとも聡くんへは無くてもいいと思う。

 

人それぞれ何が苦手かとか、症状の重さも違うけど、楽しい時は本当に楽しいし、所謂普通の人と同じ。ずーっと落ち込んでるわけでも無くて、仕事も普通に出来るし、遊びも楽しめる。ただ、極度の心配性って感じだから、どうしようどうしよう…。で、苦しくなる。そんな感じ。

だから、ファンの子もそんなに落ち込まなくて大丈夫だと私は思うんです。

お互いに支えあいながら、2人と、帰りを待つメンバーを応援出来たらいいなって、そう思います。

 

言葉が合ってるのか分からないけど、2人が公表してくれたことによって、パニック障害と戦ってる人の役には立ったし、理解してもらえる機会が出来て、救われた人も多いと思います。私もその一人なので。

休むことって大事だと思います。頑張るのも悪い事じゃないけどね。でも、影響力がある人が公表すること、確かにリスクは大きいかもしれないけど、でも、私は決して間違ってるとは思わないし、ホントに誤解を与えてしまったら申し訳ないけどありがとうって思います。ファンの子達に対して申し訳なさも沢山あると思うけど、ちゃんと休む事で、アイドルの仕事してると私は思います。だから2人と一緒に私もこの病気と付き合っていきたいなって思います。

 

長い長い私の話を読んでくれてありがとうございました。

私もいつか誰かの何かの手助けができる立場になれたらいいなって強く思います。

 

ありがとうございました。